講演会 もっと知りたい!桜島
〜先人が残した噴火の記録とその教訓〜
2003年1月26日(日)
要旨
鹿児島大学理学部地球環境科学科 井村隆介
はじめに 火山噴火災害の回避・軽減には,「いつ噴火するのか?」といった予知情報に加えて,噴火が時間の経過とともにどのように推移するのかを予測することが重要である.そのためには,過去に起こった噴火の推移を具体的に把握しておく必要がある. 過去の噴火の推移を知るには,噴火堆積物の層相や層位関係に着目した研究が不可欠であるが,それだけでは前兆現象や噴火の継続時間に関する情報を十分得ることはできないので,文字記録の残された歴史時代の噴火に着目し,噴火堆積物とその記録を対応づけて噴火を復元するとよい.また,そのような事例研究を増やすことによって,他の火山を含めた地質時代の噴火についても堆積物からより多くの情報を得られるようになるであろう.したがって,歴史時代の噴火を噴火堆積物の層相・層序と史料から人間の時間・空間スケールで復元することはきわめて重要である.ここでは,史料を用いた噴火史研究の例を紹介したい.
日本最古の噴火記録? 日本では,古くからいろいろな火山の噴火が記録されてきた.「理科年表」や気象庁編集の「日本活火山総覧」には,それらの概要が紹介されている.そのうち最も古い噴火記録は,「いとく懿徳天皇御宇薩摩国開聞山湧出」というものである.この記述をそのまま受け取ると「懿徳天皇の御宇の時代(紀元前520年〜前477年の間)に開聞岳が湧き出た(噴火によって出来た)」ということになり,日本で最も古い噴火記録となる. しかし,この時代は歴代の天皇が100年以上生きていたりする,後世になって創作された神話の時代であること,この記録が2000年近く後の江戸時代に書かれた文書にのみ見られることなどから,この記述の噴火記録としての信憑性はほとんどないことが明らかである.したがって,火山学的な評価はまったくできない.日本に漢字が伝わったのは5世紀の初めなので,他の火山においてもそれ以前の記録については,ほとんど信憑性がないと言ってよい.また,現存する古い記録の中には,後年に書写されたものも多いが,それらには転記する際のミスが認められることもある.史料から過去の火山噴火について言及するときには,史料の記述を鵜呑みにするのではなく,できるだけ史料の原典にあたって,作者や史料の素性・成立年などについてよく検討する必要がある. 鹿児島県内の火山で,比較的信憑性の高い噴火記録で最も古いものは,『続日本紀』の天平宝字八年十二月(764年1月)の項に見られる「是月.西方有声.似雷非雷.時当大隅薩摩両国之堺.烟雲晦冥.奔電去来.七日之後乃天晴.於麑島信尓村之海.沙石自聚.化成三島.炎気露見.有如冶鑄之為.形勢相連望似四阿之屋.為島被埋者.民家六十二区.口八十余人」というものである.桜島の地質との対応づけから,この記述は,桜島東部の鍋山火砕丘および長崎鼻溶岩を形成した噴火を示しているものと考えられている(小林,1982).
火山の神 昔の人々は,火山噴火を神の仕業であると考え,火山そのものを信仰の対象としてきた.災いをもたらす噴火は,神の怒りや祟りと信じ,人々はそれを鎮めるために祭祀を行った.とくに大きな災害をもたらすような噴火が起こった場合には,火山の神に対して叙位叙勲の制度があった.つまり,噴火を鎮めるためにその火山の位を昇進させたのである. たとえば,開聞岳をご神体とする開聞神は,貞観二年(860年)に従五位上から従四位下へ昇叙され,さらに貞観八年(866年)と元慶六年(882年)にそれぞれ従四位上,正四位下に神位が上がっている.開聞岳では,この間の貞観十六年(874年)にかなり規模の大きな噴火があったことが史料や遺跡から確かめられているので,この一連の昇叙には神の怒り(すなわち噴火活動)を鎮めようという意図があったものと考えられる. とはいえ,火山の神の昇叙の中には,その他の多くの神々と同時というのも数多く認められるから,神位の上昇と噴火を単純に結びつけられないこともある.
噴火の前兆・推移と災害 噴火記録は古い時代のものほど情報に乏しいので,記録だけからその噴火の全容を明らかにすることは難しい.しかし,江戸時代の中頃以降になると,噴火とその災害の記述はかなり詳しくなってきて,噴火の前兆現象や噴火の推移,あるいは災害についての情報が得られることがある. 表1 史料から推定した桜島安永噴火の推移(井村1998) 表1は史料を用いて組み立てた桜島安永噴火(1779〜81年)の前兆現象と噴火の推移をまとめたものである.これを見ると,このときの噴火は,地震や井戸水の沸騰などのかなり顕著な前兆現象を伴ったこと,軽石を降らせたり火砕流を発生させたりするような激しい噴火は噴火開始から数日程度であったこと,噴火開始から1年くらいたって津波が発生したこと,最終的には1年半くらい噴火が続いたこと,などがわかる.これらのことは,桜島で噴火が発生したときの対策を考える上で非常に重要な基礎データとなる. 一方,このときの噴火では,桜島島内で「五,六丈(15〜18m)」,風下の牛根,末吉,宮崎では,それぞれ「八尺(2.4m)」,「五寸(15cm)」,「二,三寸(6〜9cm)」の厚さの軽石や火山灰が降ったことがいろいろな文書に記されている.これも,噴火災害に備える上で重要なデータである.ただし,これらの堆積物の厚さは,実際に調査してみると,まれではあるが,かなり多めに書かれていることがある.田畑や道路が噴出物にどのくらい埋まってしまったかは,噴火による損耗の算定に大きくかかわっていて,これによって年貢の取り立ての減免などが行われたためと考えられる.史料から災害の状況を評価するときには注意が必要である.
歴史時代の火山活動のパターン 人間の歴史の長さは火山の一生と比べて十分な長さを持っていないので,歴史時代の噴火を知っただけでその火山の噴火様式や噴火の間隔について議論をすることは危険である.しかし,その短い歴史時代に繰り返し噴火しているような火山では,それぞれの火山の噴火の“くせ”をおおよそ知ることができる場合がある. 霧島火山の新燃岳では,噴火堆積物と史料から最近300年の間に享保元〜二年(1716〜17年),明和八〜九年(1771〜72年),文政四年(1822年),昭和三十四年(1959年)の4回の噴火活動が確認されている(井村・小林,1991).これらの噴火のうち,昭和の噴火をのぞく3回の噴火活動では,水蒸気噴火に始まり,その後マグマ性の噴火へ進行して,高温の火砕物の降下と同時にベース・サージや火砕流を繰り返し発生させ,広い範囲で泥流や火災の被害を出すという傾向があることが明らかになっている(井村・小林,1991).史料によると,最初の水蒸気噴火からマグマ噴火には,早い場合で半日,遅い場合で数ヶ月で進行していることがわかる. 一方,表2は桜島の安永噴火と大正噴火(1914年)の推移を示したのもである.これを見ると,大正噴火の推移は,海底での噴火の発生,新島の形成と噴火直後の大きな地震をのぞけば,安永噴火の推移ときわめてよく似ている. 新燃岳や桜島の噴火災害対策を立てる上では,このような噴火活動の推移の傾向や被害のパターンをよく考慮しておく必要がある.
繰り返された災禍−温故知新− 桜島の安永噴火の後,藤崎万十廣次という人物が次のような文章を残している. 「安永八年亥九月二十九日之晩五つ時分より地震起り一時の内には七八十度づつゆり夜明け十月朔日に相成り候ても少しも不相替地震有之候に付何様成る事の到来する事候哉と申候処に朔日の八つ前より島の嶽燃出候付夕べよりの地震は燃え出の前表哉と為申事に候後年の考へに可相成事に候此跡の燃出候節書付を見候へば文明三年九月十二日黒神の燃出ると有之同七年八月十五日野尻村の燃出ると有之候其節も以前地震為有之筈候得共左様の訳書付無之候故此節の地震にも不驚罷居候故死人等多く為有之事に候右体之儀又々有之候ては不可然事候得共千萬一つ又々大地震有之節は早く用心可致事候此段は先々若き者に能々申聞せ言伝へ可置事候昔之燃も只一日に燃出たりやみたるは無之筈に候是より先々大地震起り不止節は早く用心致し候者燃出ても死人等は無之筈候間往々如斯言伝可置事要用なり」. つまり,「噴火の前日から頻繁に起こっていた地震は,噴火の前兆であったことが噴火して初めてわかった.古い記録を見ると,桜島では文明年間にも大きな噴火があったらしい.その時にもたぶん地震があったに違いないが,当時の人がそのことを書き残してくれなかったために,今回の前兆地震に気づかず,多くの死者を出してしまった.今後,桜島で地震が止まないときは噴火の前兆なので,早めに用心すべきである.この先代々このことを伝えておけば,噴火しても死人は出さないですむはずである」ということである. しかし,上の文が書かれてから約100年後の大正三年(1914年),桜島は顕著な前兆地震の後,大噴火を起こして多くの死者を出す.そして,その10年後「本島ノ爆発ハ古来歴史ニ照シ,後日復亦免レザルハ必然ノコトナルベシ.住民ハ理論ニ信頼セズ,異変ヲ認知スル時ハ,未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ・・・」という碑文をもつ桜島爆発記念碑が建てられた.まさに「災害は忘れたころにやってくる」ということになるが,裏を返せば「忘れなければ,災害は防いだり軽減したりできる」ということであり,それが著者の防災に対する基本姿勢である. 表2 安永噴火と大正噴火の推移の比較(井村1998)
文献 井村隆介(1998)史料からみた桜島火山安永噴火の推移.火山,43,373-383. 井村隆介・小林哲夫(1991)霧島火山群新燃岳の最近300年間の噴火活動.火山,36,135-148. 石川秀雄(1981)桜島火山の噴火活動史.自然災害特別研究研究成果,No.A-56-1,153-162. 金井真澄(1914)桜島噴火略報.地学雑,26,369-378. 小林哲夫(1982)桜島火山の地質:これまでの研究の成果と今後の課題.火山,27,277-292. 小林哲夫(1986)桜島火山の形成史と火砕流.自然災害特別研究研究成果,No.A-61-1,137-163. 上田光曦(1914)大正三年噴火前後の桜島.地学雑,26,431-449,524-536,605-621,690-713. 宇佐美龍夫(1996)新編日本被害地震総覧[増補改訂版416-1995].東大出版会,493p.
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