新島探検ツアー PART2
 2003年5月18日(日)

新島探検パート2!
またまた新島に行ってきました♪

ここは島の南端にある砂浜。大潮の時はとても広い砂浜が現れます。
新島が海底から隆起してできた事が分かる地層です。一番上の方に貝の化石の層があります。

島の「メインストリート」 なのですが・・・ まるでジャングル探検みたいです(^^)
桜峰小学校・新島分校跡。この小学校にも面白い歴史があります。※
京都大学防災研究所・桜島火山観測所の新島観測井。

島に一つだけある神社。「五社神社」。
神社の中はこんな感じ。
恒例の貝化石をさわってみよう!のコーナー。5000年の歴史を感じることはできましたか? かつて島に一つしかなかった井戸と水神様。 帰りの船の様子。この角度から桜島を眺めることはめったにありませんよね。でもちょっと天気が・・・

みんなで記念撮影。今回もとっても楽しかったです☆
パート1の様子はこちら

  

 

※おまけ解説

桜峰小学校新島分校

 新島は鹿児島市黒神町浦之前の沖合に浮かぶ小島であるが、安永八年の桜島岳の噴火の折、湧出した島々であり、その後赤水から漁民が移住したために桜島町に属する赤水の一部となっており、大字赤水、字新島となっている。

 明治三十三年(一九〇〇)、新島に分校が設立されたが、これは字赤水ということから、桜洲小学校、新島分校と命名された。しかし発足当初の学校規模、生徒数などについては資料を発見できず不明である。そして大正の大噴火の後大正四年(一九一五)、桜洲小学校が現在地に復興される時を機に、新島分校は桜峰小学校の分校となった。

 大正十二年(一九二三)校舎を新築した。しかし、昭和四十三年校舎老朽化のため、ブロック、コンクリート造りの校舎一三六・八平方メートルを新築した。新島分校の生徒は卒業すると対岸の黒神中学校に通い(黒神中学校は行政区の異なる東桜島村内の学校)、委託教育することになった。(昭和三十六年度まで、桜島中学校の項参照)

 昭和四十七年度になると、新入学児が一人残存することになった。一人のためにスクールボートは運行される筈であったが、入学直前になって桜洲小学校区に移住することになり、新島分校区の児童数は零となり、昭和四十七年三月三十一日を以って、桜峰小学校新島分校は廃校することとなった。

「桜島町郷土誌」より